2015/08/10
いらっしゃいませ
北向きに生きる私ですが、
三日坊主で終わらないよう、
できれば棺桶の中でも書き続けたい。
古い記事から時系列に並べています。
最新の記事は【最新記事】からご覧下さい。
余命15年(標準寿命まで) 長過ぎ!?
2015/09/03
釣りや船のメンテナンスのために軽のバンを購入したのだが・・・・、
難しいといわれる板金塗装といっても今の世の中DIYも十分可能ではないか。
最近ではカー用品店で売られている塗料などの品質もプロが使っているものに近く、
道具もすべて揃っている。
説明書きをじっくり読んだら、「これは自分でもできるな」と確信を得た。
コストは全部で数千円だ。
さてさて、まず最初の作業はペーパー掛けだろう。
これは大失敗であった。
塗り過ぎなのである。デコボコになってしまった。
塗ったパテを剥がし、もとの状態へ戻すために大規模な時間と労力が掛かった。
気を取り直し、カー用品店へもう一度足を運び
スプレー式パテなるものを買ってきた。
実は、最初からスプレー式パテは目に入っていたのだが、
プロ的にやりたく、あえて練り式のパテを買っていたのだ。
これが、悲劇を生んだ。
プライマリを塗り、車体色であるゴールドで塗料スプレーとボカシ材、
2015/09/08
「来たっ!」
これはでかい。 思わず声が漏れた。
船長である私の竿が大きくしなった。
船上ではどよめきが起こった。
「船長!さすがですねっ!」
しかし私はすぐに分かった。「根掛かりだな」
振り上げた拳の持って行き場がない、という言い方があるが、
つまり、引っ込みがつかない、今更引き下がれない、もう戻れない、
と言う意味で使う。
私は、振り上げてしまった竿をどのようにして納めるものか、
竿を何度も大きくシャクリ上げ、魚とやり取るフリをしながら引き際を考えている。
時間が経つに従い、
いつまでやっとるんだろうかと皆はすでに己の竿に関心が移っており、
船上は静寂に包まれている。
静かに竿を下ろし、ラインを切り、
誰とも顔を合わさずキャビンに入って弁当を食べた。
2015/09/22
突然どこかへと行きたくなり、
急遽、昼に出航してゆとりの1泊クルージングに出た。
連休中だが海上では渋滞がないし、船中泊なので宿の予約もいらない。
気楽なもんだ。
関門海峡を通って宇部へ向かい宇部マリーナに係留した。
マリーナのS専務には急なお願いにも拘らず親切に対応して頂いた。
運営されているマリーナ数は、現在、国内1、2位の規模である。
その夜は当地一番のお店「明徳」までわざわざ車で送って頂いた。
今では手に入らないであろう 大いちょう一本通しの見事なカウンターで
夕食のあと、近くのラジウム温泉に入りその後お決まりの船中泊だ。
夜はあまり眠れず朝を迎えた。
なぜか、大きなスイカが1玉、船内にある。まったく記憶がない。
どうせ酔っぱらっての事だ、
どこかで買って鼻歌でも歌いながらぶらと下げてきたのだろう。
(しかしよくこんな重いものを、何のために)
朝はゆっくりと過ごし、
8時に出港して周防灘を走り姫島横を通って大分空港方面へ向かう。
国東半島のマリンピアむさしへ到着した。
7年ぶりにハーバーマスターに会えて本当に嬉しかった。
帰りも関門橋を見上げながら通峡し無事母港へ帰港した。
行く先々での温かい人情溢れた人々との出会い、
これからも安全に楽しいボート人生を歩んで行きたい。
2015/09/23
先日受けた人間ドックの結果が本日郵送で届いたが、
封書には「書留速達」と朱色で書かれており、嫌な気がした。
(これが通常の送り方だそうで特に意味はなかった)
開封して見てみると、
毎回指摘される肝機能、中性脂肪、血糖値は右肩上がりに上昇中で、
これは推測を裏切っていないのだが、
併せて行った腫瘍マーカ検査では今回急上昇した項目が一つあった。
PSA(前立腺癌診断)だ。
前回の検診では1.8であったが、今回は4-10のグレーゾーンに入っており、
泌尿器科で再検査をせよと書いてある。
この前立腺癌であるが、
アメリカでは男性癌の罹患率第1位であり死亡率は肺がんに次いで第2位だそうだ。
最近日本でも著しく増加しており、
2020年にはアメリカ同様2位になるだろうと予測されている。
まあ、こんなものは大したことはない。
男がこれくらいのことでは動揺しない。
が、近々病院へ行く事にした。 (やはり男として大事なトコなのでね)
2015/10/12
日本の犯罪検挙率は、最近では30パーセントを切っていると言われる。
80パーセントと言われていた昔と比べこの数字は、いかんともしがたい。
もう人間の能力だけではこの状況を打開することはできない。
もはや限界である。
このような状況は看過できず、倅のマー君を警察犬として養成すべく、
本日、警察犬訓練所を訪ねる事となり本人(本犬)も立ち上がったのである。
理由は、明らかにされなかったが、警察犬としてトイプードルはいかがなものか、
との判断がなされた模様だ。
その上、面接官に飛び付いて引っかけたうれションも大きなマイナス要因となった。
まずはうれしょんを治しましょうとなって、
本人のプライドも大きく傷つけられたのである。
2015/10/13
トリヤス久山から21号線を犬鳴トンネル方面へ行くと
すぐにファミリーマート久山店がある。
その手前右手に福岡田植球場があり、
そこで行われているクライマックスシリーズを観戦することができた。
ついに、かかしも球界に進出する時代を迎えたのである。
ここに来て再燃する問題として業界再編問題がある。
かかしによる球団買収構想が表面化したことにより、
球団のオーナー・経営陣、選手会、野球ファンは一体どう対応すべきなのか、
この問題は、野球界のみならず政界・経済界・農協まで巻き込む
非常に大きな問題を抱え込む事となった。
プロ野球構造改革協議会がこれらの問題をどのように解決できるのかどうか
注目が集まっている。
2015/11/01
今日は港へ行き先日破損させてしまった汽笛アンプの換装工事を行った。
右側が先日破損させたトランス、左が載せ替えてジョイントした修理品だ。
無事配線を終え、動作試験を行った。
「バアーーーーーーンッ!」
発報結果良好であり、音圧は100dBを超え周囲を驚かせるほどであったが、
不要な時にみだりに汽笛を鳴らすことは禁じられており、
しかも港内であり、私自身これはまずいと思った。
予感が当たった。
海上保安庁巡視艇が入港してきたのである。
海上保安庁は、海上における人命および財産の保護、
ならびに法律違反の予防、捜査および鎮圧を目的としている。
法律上、明確に軍隊ではないとされ海の警察と称する。
だが、Japan Coast Guardの標記などから、諸外国の沿岸警備隊(コーストガード)
と呼ばれる準軍事組織と同様とする見方から、
有事の際には軍隊の一部として参戦することが認められている。
今回の私の不注意が、中国を大きく刺激させたことは間違いなく、
軍事的緊張が一気に高まった。
有事とみなされるかどうかはまだ予断を許さないが、
幸い今回は特に事情聴取もなく帰って行った。
良くできている。
2015/11/06
先日のドックで腫瘍マーカに異常値が見つかり、
前立腺癌診断のために改めてPSA再検査を行うこととなったが、
そのためには断酒が必要だ。
断酒を始めてから既に5日を経過した。
過去の断酒最長記録は20時間までであり、こんなに長い断酒は初めてのことだ。
検査は16日なのであと10日あまり、指折り数えているが
頭の中は酒の事ばかりである。
24時間真面目人間の状態で生かされている自分を私は空の上から見ながら
眉間にしわを寄せている。
魂が抜けて空に浮いたのだ。
地上の自分は抜け殻であり
笑顔もなく自由とワルを奪われた哀れで無表情な男である。
洗面所へ行き、恐る恐る鏡を覗くと、
空虚な顔の頭上に天使の光の輪が見えた。
私は、天使となったのだ。
落ち着け、落ち着け。
2015/11/13
1日より検査のための断酒を始め今日で13日目となった。
この13日は私にとって13年ほどの長い時間に感じている。
そして、解禁は16日なのであと3日の辛抱だというのに・・・
私はこの過酷な断酒闘争に敗北しついに角打ちへと足を運んだのである。
角打ちのカウンターに立ち、周りを見渡しながら恐る恐る焼酎を1杯頼んだ。
店主の厚意により、焼酎はグラスになみなみと注がれている。
つまみとして、ここではその中でも最高級と言われている
サバの味噌煮の缶詰を注文する。
胸の鼓動が起き、胃が催促を始め、右手に割り箸、
左手にグラスを握ったそれら両手に痙攣が走った。
「さあ、飲むぞ、これでいいのだ」、と言ったそのとき、
誰かの通報によって警官が突入してきた。
脇を抱えられ、パトカーに乗せられ、なぜなのか、
馴染みの寿司屋へ連れて行かれそこで降ろされたのだ。
「中に入れ」と言われ、仕方なく店に入ると、
そこでは、私と同じ断酒中の大将がお客さんとケラケラ談笑しながら
コップを片手に日本酒を飲んでいる。
お互いに体調が悪く、二人で励まし合いながら断酒をやり遂げよう!、
そう誓い合ったのに、、、。
それにしても、誘惑に負けた大将のナントも情けない姿、
それを見て私は目をさまし、再び断酒の道へと戻ったのである。
夢であった。
2015/11/15
ロシア陸上界で不正行為が行われていたと報じられた。
報告書によると、「99%の選手がドーピングで違反している」
と訴えた選手もおり、不正が恒常的に行われていた実態が明るみに出ている。
しかし、クスリなど使用せずとも、100メートルを重病、急病で走る選手はいる。
さて、侍ジャパンだが、昨日米国に大勝し決勝トーナメント進出となった。
とにかく、大事な場面ではしっかり打ってほしい。
選手には、「玉筋をよく見ろ」 と言っておきたい。
(これらの誤字は断酒を起因とした禁断症状によるものです)
2015/11/17
大袈裟だが15日間の断酒を見事にやり遂げPSAの再検査に挑んだ。
残念だが前回より数値が上昇しており、次のステップは生体検査となる。
この段階で3人に1人の割合で癌が見つかると言われた。
面倒なことになってしまったが心配してても仕方ない。
気分を紛らわせるためにもくだらんブログだが続けていこうと思う。
15日間の断酒が解禁され、晴れて専務と飲むことができた。
遅くまで専務もまたよく付き合ってくれた。
ありがとう!だけど君はやっぱり大酒飲みだね。
好きなワタリガニの甲羅に酒を入れ、飲み始めた。
次第に酔っ払い特有のシマラナイ顔になってきた。
ついには、甲羅を食べ始めた。
そして、徳利をマイクに仕立て歌い始めたではないか。
彼が見せた赤裸々な醜態の姿は、再度私を断酒の道へと呼び戻すものだった。
明日、彼は歯医者へと行くことになるのだろうか。
そんなことを考えながら家に帰り着いた。
テレビをつけ、今日の相撲を見ていたら行司が叫んでいる。
「吐き気、酔い、残った残った」
2015/12/06
生体検査手術のため昨日より入院している。
暇なので釣りの仕掛けである鯛ラバを作りながら時間を潰した。
世間知らずの友人が1本3千円で買ってくれるのだ。
朝、目が覚めると美しい看護師さんがそばにいた。
私は彼女の前で大胆にパンツを脱ぎケガれた尻を剥き出す行動に出た。
細胞を採取するために股間から臓器に向けて採取針を刺す程度のもの。
肛門からCTを入れ、癌が疑われる場所を見ながら行う。
また血尿も起こるため尿管に管を通す。
一時間半とは、結構掛かるものだ。
股間とはつまりは、ゴールデンボールバッグと、スクールゲートの間だ。
なんと恐ろしい場所だ。体が凍り付く。
そんなところに12本も針を刺すなどと、これはまさに拷問ではないか。
身が引き締まる思いである。
手術はお産の時と同じ体型で行う。
全身麻酔だからよかったが、そうでなけりゃ恥ずかしさと恐怖で失神する。
さあ、ついに手術室から呼び出しが来た。
スポットライトで燦然と輝く手術台へ上がり、
羽生選手に負けない程の今までに見せたことがないような
素晴らしい体型を表現するつもりだ。
2015/12/10
検査手術のための入院生活も2泊3日で終わった。
全身麻酔によって全く苦痛はなかった。
記念に写真を撮っている。
ここがそのゴールデンボールバッグとスクールゲートの股間である。
なんだかんだで無事に退院することができた。
仲間から「来年2月のタイ旅行は行けるのか」と電話が入った。
25日の生検結果によって癌であるかどうかがやっと判明する。
祈る気持ちで待機する。
2015/12/19
前立腺生体検査手術を終え退院して数日が過ぎた。
術後の経過は順調だ。ただ、退院しても一つ心配事があった。
私はあまり大きいとは言えない小型ロケットを所有しているのだが、
長い間放置していたロケットの状態がとても心配であった。
そこで、各機能点検確認の為、久しぶりひとりで密かに打ち上げを試みた。
カラーの「専門書」を見ながら掛けたエンジンに問題はなかったが、
起動に多少時間がかかった。手動なので疲れる。
機体は斜めに傾いていたがエンジンが温まると
徐々に空に向け体制を整えようとする。
しかし製造後60年近く経っており
高年式機種のように垂直というわけにはいかない。
結局ロケットは発射台から飛び立つには至らず3分半で着火してすぐに鎮火し、
そして若干のオイルが赤く染まって漏れ出して点検作業は終了した。
尿道への血液混入は今回の生体検査手術に伴って発生する現象で
心配はなさそうであるがその瞬間は仰天した。
詳しいことはわからないが、
前立腺臓器に何十本も針を刺す生体検査は細胞破壊行為と言えなくもない。
癌細胞が拡散、悪化するとしてこの検査方法に慎重論を述べる医者も存在する。
しかし、癌確定検査は現在ではこの方法が非常に有効な方法なのだ。
2015/12/22
那覇空港に到着しレンタカーを借りてあしびなーへ行き、
買い物をしてから国際通り沿いのホテルへチェックイン、
夕食は鉄板焼き。
翌日のプレイは十数年ぶりのサザンリンクスだ。
現在ではアコーディアとなっていた。
早朝のスタート、朝日を浴びながらのラウンドが気持ちいい。
茶屋の横に咲くハスの花。咲いているのは朝だけだ。
海越えの名物8番ショート、同伴者N君のボールが見事に海へと吸い込まれた。
なんと爽快だろう。(ヨシヨシ!)
OBであるためアドバンスティーからプレイング4だ。
しかしその場所はなんとグリーンエッジにあったので彼はパターで打った。
入ればボギーだがわずかに外れてダボとなったのである。(ヨシヨシ!)
最終ホールでは、N君はキャディとの議論も欠かさなかった。
詳しい論旨はわからないが、「左右どちらにスライスするのか」
といった非常に怪奇複雑な問題を提起した模様だ。
結局、この問題で互いの理解は深まらず、溝は埋まらなかった。
というか、ケンカになった。
夜は予約していた地元料理店に足を運んだ。
2015/12/24
またまた、入院中の話で恐縮であるが入院中に生産計画を立て
病院内で大量生産を試みた物の一つに釣りの仕掛けである鯛ラバがあった。
結局、この事業は早くも閉鎖に追い込まれ生産されたその数、僅か14本である。
ただ、この製品が持つ他の市販品に見られない特長としては
金髪を採用したことだ。
やはり、このように壮大な生産計画を立て事業化を進めていくと、
優秀な人材の確保の必要性に帰着する。
しかし、一般的に管理職の実態というものは一体どのようなものだろうか。
部下に、コンコン、ナガナガと説教を垂れていた部長は、
「ハゲのくせに」の一言で片づけられている。
「キミの笑顔が会社で一番いい」と口説いたつもりの係長も、
「靴下がくさい」で片づけられている。
やはり、人を使うことの難しさが懸念され、
結局鯛ラバ事業計画はこの点に於いても頓挫してしまったのである。
2015/12/25
2015/12/27
2015/12/28
2016/02/01
2016/02/03
2016/02/26
今日は早朝より、タワシを使って玄関ポーチ周りの汚れ取りを行ったのであるが、
タワシには出雲の亀の子タワシや京型タワシがあって、
後者の形の方が長くて使いやすい印象を持った。
出雲の亀の子タワシ
作業しながら思ったことは、使いやすのは
やはり、「出雲と違う京のタワシ」ということだった。
あまり、家の掃除などほとんどやらない私もまた、
「いつもと違う今日のワタシ」であった。
2016/03/18
私は楽して釣る方法を開発中で、我が国に於いて省エネ問題にも貢献している。
高度な怠け手法を駆使して、「しゃくらない」、「釣れるまで座して待つ」、
「餌は付けない」、という独自のテクニックを3本柱とし、
竿を船べりに置いたまま寝て待つといった日本で初めての置き竿方式
(特許出願番号9317-9317-5963)がそれである。
省エネ提案や経費ケチケチ対策など時代に即した手法で、
非勤勉型不労社会の構築とアベノミクス不況の進展を担っている。
今日は半年ぶり、ロクレットーへ例の金髪鯛ラバを持って春の訪れとともに
9時出竿、お昼に納竿したがまあまあの漁獲量であった。
実のところ、病み上りで体力もなく、竿を置いて居眠りしてただけなのだが、
こんなにたくさん釣れるとは、開発者の自分でもビックリしている。
2016/03/20
手術の有害事象により引き続き24時間紙おむつ状態だが、
先日、意を決して横浜でのジャパンボートショーへ行ってきた。
ランドマークタワー内にある横浜ロイヤルパークホテルに2泊し
中華街や市内散策と調子に乗り過ぎて無理がたたり、
パンツの中は亜熱帯的多雨、集中豪雨による洪水と土砂災害が発生し、
ゴロゴロプーッッ!!!と言った落雷まで発生するという異常事態となった。
その大規模災害を見ていた(その屁を聞いた)横浜の街の人たちは、
「自衛隊の災害派遣要請の一歩手前まで来ていた」 と証言する。
因みに使用パット数は合計16枚であった(*´ω`)
画像右側に関東大震災直後の写真が掲示されている。
飲もうとしたが体が受け付けずあまり飲めなかった。
2016/04/26
2年前の今頃、選び抜かれた乗務員4人が乗り込んで、
岡山からボートを回航して来た事が思い出される。
(オフィサー及びクルー)
1級小型洗濯操縦士
3等後悔氏(上記兼務)
2等無銭通信士
1等言う事聞かん長
4級気管支炎(女将)
4人は岡山まで新幹線で上り、宮浦マリーナへ無事到着し納艇を受けて進水した。
宮浦マリーナを出航して小豆島の西側を走り、
四国、高松マリーナのビジターバースへ係留し、
日本三大急潮流は、「一に来島、二に鳴門、三とさがって馬関瀬戸(関門)」
宿泊の旅館さわきでその夜はどんちゃん騒ぎとなり、
いびきをかく者が続出し全員が寝不足となった。
それぞれが加害者となり被害者となってしまったのである。
このような劣悪な環境の中に於いて、
2016/05/04
憐れは神の知らぬ情で
しかも神に尤も近き
人間の情である
「草枕十章」から
漱石も立ち寄った、高良山に鎮座する厄除・延命長寿のご利益で名高い高良大社。
本日参上、健康祈念をさせて頂いた。
階段数、130段。息切れも甚だしい。
既に長寿に疑問が生じた。
なんとなくこの写真は、「起工祈念の儀」のような感じになってしまった。
祈念の後、階段下の茶屋に立ち寄る。
名物のトコロテンを食べ、下山することにした。
下山しながら高野山登り口に(チャンポン・コーヒー)
と書かれた看板を掲げたお店がある事に気付いた。
この組み合わせに違和感を覚える。 だが、
例えば世のフレンチレストランに於いても、
「黒霧をロクヨンで」、
「富の寿を熱燗で」、
「デザートはタクアンで」
などと気軽に注文できるような世の中にすべく、
このお店は自らがパイオニアとなって厳しく世に問うているのであろう。
2016/05/15
デルタ機に搭乗、ハワイ島へ向かう。
制限中の酒と肉はいったん解除した。
禁欲の長命か享楽の短命か、
究極の選択だが旅行中は短命方式を採用することにした。
レンタカーを借りてマウナラニへ。
2016/05/19
朝風呂のあとラナイに腰かけ、
心地良い貿易風に当たりながら、
毎朝欠かせない失禁抑制剤、スタチン、血液サラサラ薬、
神経障害改善薬、その他8種類のクスリの味わいを楽しんだ。
至福の時だ。
但し、絵にはなっていない。
さあて、クスリを飲んで元気も出たのでそろそろ出掛けるとする。
19号線を空港方面へ南下、
ハイラナニストリートより入ってミセスバリーズクッキーズへ。
こうやって見ると私のおなかも随分小さくなったもんだ。
その後、私のセカンドハーバーであるホノコハウマリーナへと向かった。
毎年ここで行われるハワイアンインターナルビルフィシュトーナメント
へ参加しているため、ここに私のクルーザーも係留している。
久しぶりに愛艇と会うことができたが何事もなく安心した。
豪華クルーザーなので日本にいても心配が絶えない。
ハーバーに併設しているレストランで昼食を取る事にした。
店へ入るや否や、何やらTシャツを着た4人の御仁が並んで座っていた。
私もTシャツが好きなので親近感を覚え、一言、声を掛けようとしたが、
「背中を見ておけ。何も言うな」 という無言の主張が感じられ、
「かしこまりました」 と心の中で返事した。
レストランからは仲間たちのフネが見える。
私の自慢のクルーザーも紹介しておきたい。
こいつだ。
愛艇のスケールの小ささには我ながら目を見張るものがある。
無事も確認できたため、次はカイルアコナへと短い足を延ばす。
Kailua Pierにて
アリイドライブを望む。
夕暮れ前にベイクラブへと戻ってきた。
2016/05/20
女房、マリンショップにて20ドルで麦わら帽子を買う。
今日は各地のハーバーやビーチへドライブした。
ビーチでは私より先に入った女房が男から絡まれている。
男の大きな声が聞こえてきたので私は拳を握り締め身構えた。
私が女房を置いて逃げようとしたその時、
あとから来たおっさんが近づき戒めた。
「おいおい、やめとかんかい」
トラブルは回避された。
(絡まれる女将↓)
ここは、マグロ釣りのメッカだ。
先ほど因縁を付けられたこともあって、むしょうに腹が立っており、
誰かに八つ当たりしたくなった。
コイツに言ってやろう。
「おい、ハゼ、釣れたか?」
やはり、言えなかった・・・。
早いものであっという間に時が過ぎた。
明朝の飛行機で帰国する。
2016/05/23
1週間前からハワイ島に来ているが早いもので今日日本へ帰国する。
早朝にチェックアウトしてコナ空港へと向かう。
荷物を預け、セキュリティゲートへ進んだのだが、
人体Xレイでひっかかり、拘束される。
オフィサーまでが出てきて、ダブルチェックすると言う。
どうしてダブルチェックの必要があるのかと聞くと、
Xレイによって映された股間に異常な膨らみが見られ、
何か隠していると疑っている。
横では女房が笑っている。
全身をさんざん触られまくった後、ちょっと部屋まで来いと言われ、
3畳ほどの部屋へ入れられた。
笑っていた女房が不安顔に変貌した。
私も、ここまでくると少し抗議の準備を始めなければならない。
しかし昨今の世情も鑑みるとこのような厳格なチェックも致しかたなかろう。
私は、病気である事を告げた後、
彼らの不意をついて突然パンツをドーンと下げ、
思いっきりイチモツを露出させた。
そこには、恥ずかしそうに身を隠していた秘境の尿漏れパッド
が初めて公にさらされた。
それを見た検査官たちは大きくうなずき、
OKと言ってこの国家的ミッションを完遂させたのである。
一方、私は多少の被害者感情を示しておきたく、
この尿漏れパッドを手に取って匂いそして笑って見せた。
検査官達は怪訝そうな顔をして目を背け早く退出せよと手で合図している。
これが私のささやかなる抵抗であった。
ハハハ、ザマミロと
2016/05/28
雨が上がり、午後から出漁となった。
メンバーは、指を怪我している別府さん、ショーキ君と私の3人である。
とりわけ別府さんは、オーシャンフラッシュジグを持ち込んで
意気込んでいたのだったが、結論から申し上げると、
別府さん=ベラ1枚、ショー君=三振、私=5枚の釣果であった。
怪我をしたのか、別府さんの包帯を巻いた指が痛々しい↓
試合終了後、寝てしまったショーキ君。
今日は負け投手となってしまった。
ところで、別府さんの指の包帯が抜け落ちたようだ。
みんなで探したが結局どこにも見つける事ができなかった。
どこへ行ったんだろう。
今後は船内にも救急用品として備えておく必要性を痛感した。
あったあった😆
2016/06/02
現在、私は茶漬けのみといった食事制限を受けている。
食事療法として行っているわけだが、
先般、メガネを衝動買いした事による経済的側面もある。
だが、やはり茶漬けだけでは人生は楽しくない。
米とお茶と梅干だけなので栄養面で言うと家畜の餌以下だし、
梅干を他の物に替えたところであまり変わり映えしない。
今日は特別の日と言うこともあって、久しぶりのフレンチ店へと短い足を運んだ。
汚い話になるが、私はお店で日本料理を味合う場合、
トイレは厳格に和式を重んじていた。
最近のトイレで和式を探すのは非常に困難を極め、
電車で隣町まで行って探す事も珍しくなかった。
しかし、本日の食事はフランス料理であるため、
トイレは寧ろ洋式として合わせなければならないのである。
そして、今日は焦らず十分に余裕をもってトイレへ挑む事ができ、
気持ちよく副産物を生成することができたのであった。
このように最近では「食の出口論」という問題も
非常に大きなテーマとなってきている。
2016/06/03
父親が、言う事を聞かない男児を置き去り」
と報道された事件だが、無事保護されて本当によかった。
しかし「置き去り」という表現はこの先この親子にとって禍根を残す表現だ。
置き去りというより、シツケと捉えたい。
実は、私も息子に対して同じような事をやった事がある。
但し、私の場合は、方向音痴のために自分が行方不明になってしまった。
何とか我家に辿り着くと、
先に帰っていた息子が「心配した反省してます」と私に詫びた。
シツケは成功した。
息子が大きくなって父親を語るとき、
「怒られた事は無い」なんて言われるよりは、どちらかというと、
「厳しかった。そのシツケのお陰で今の自分が・・」と言われる方が良い。
最近では子供に対してシツケができない親が多い中、
この父親の子育ての思いに理解はできる。
確かに今回シツケ方に不注意、行き過ぎがあったとして
多くの人達に迷惑を掛けた点では批判も免れないが、
そもそも子供は国の宝、誰の子であれ、みんなで守り育てていくもの。
大らかな気持ちでこの親のシツケをバックアップしようではないか。
ところで今日は午後から薄暮プレーを楽しんだのだが、OB、ロストで難儀した。
最終ホール、ショットがラフへ飛び、
ボールはどこじゃ?と探していたらありました!
と思って近づいてみたら、こりゃボールと違うじゃないの!
ゴミだ。
ゴルフ場ではゴミのポイ捨てなどしないようにお願いしたい。
(捨てた人の親御さんはシツケがなっとらん)
どこを探しても結局ボールは見当たらなかったのだが、
しばらくしてボールは意外なところで発見することができた。
恥ずかしい。
見られて笑われるより紛失球扱いにして黙っておいた方が得策だ。
競技ではないので別のボールをドロップして打ち直しその場を去った。
そして、そのボールはその木に「置き去り」。
2016/06/04
取引先である会社の鹿田社長が頭を抱えていた。
最近入社してきた若い新人事務員に不満があるというのだ。
鹿田社長にかかってきた電話への彼女の応対に問題があるという。
「はい、○○株式会社です。
・・・すみません、鹿田さんはいま、お出掛けになっていますが」
ちょうど鹿田社長が事務所へ戻った時、
事務員がそのように話して応対していたそうだ。
マナーでは、対外的に身内のことを述べる場合は
自分自身を述べる時と同様、謙譲表現をすることになっている。
これが常識である。
帰社早々、鹿田社長はキレ、こんこんと彼女に説教をした。
世間知らずの若い事務員は、
鹿田社長から初めてマナーと言うものを教えられ理解した。
「そうか、わかったね。 社内の人間は呼び捨てでいいの。
次回からそうしなさいね」
「はい、わかりました。ありがとうございます。勉強になりました!」
さて、17時を過ぎ、
その事務員が帰る時間となって鹿田社長へ帰りの挨拶をしたその時である。
「 お先に失礼します、鹿田。 」
鹿田社長は、ハトが豆鉄砲を食らったかのように、
目をパチクリさせていたのであった。
2016/06/05
中央区にある古物屋に行き何か珍しい物はないものかと中を覗いて来た。
早速、棚の上にはなにやら小さな頭骸骨がひとつ置いてあった。
主人に聞くと、なんと源頼朝の頭骸骨だと言うではないか。
嘘を言ってはいけない、頼朝は大きな頭をしていたと伝えられている。
「頼朝の頭はこんなに小さいはずはない」と私は言った。
そしたら主人曰わく、
この頭骸骨は、頼朝がまだ小さい頃の頭骸骨なのです。
だと。
暑いのでもう帰って寝る。
2016/06/18
女房が、犬にも海の爽快さを味わって欲しいということで
犬を抱いて釣りを始めた。
地球の支配者である人間のおごりとも言える。
暑い、揺れる、窮屈、退屈、腹減った、釣りなんて興味ない、
オシッコしたい・・・。
犬にとってはこれ以上ないお節介であり、大変な有難迷惑である。
2匹仲良く連なって釣れたので、犬も大喜び
という事も、ない。
夜は、馴染みの寿司屋へ。
キープしている鹿児島の「小鹿」を飲みながら料理を嗜む。
貝柱
有明では自然物はもうほとんど獲れない深刻な状況だ。
国は一体何をやっているのだろう。
貝柱は、国の重要な産業の柱ではないのか。
2016/06/21
昨日は、活発な梅雨前線の影響で九州では猛烈な雨が降り記録的な大雨となった。
私の手術後有害事象である禁も今だ活発な土砂崩れ状態であるが、
本日雨は上がり、T子も呼んでラウンドとなった。
T子は上手い。なによりフォームがいい。
今日は午後から日差しが厳しく降り注ぐ。
日除けのためにコンビニで日傘を買っておいて本当に良かった。
「日傘はどれがいいかな」と言ってバイトの女の子に選んでもらったものだ。
帰ったら、女房に「ずいぶん焼けたねえ」と言われた。
透明の傘はビニールハウス効果がある。
バイトのオネエちゃん、だましたな。
2016/07/02
今日、チラシを見て
近くのスィミングスクールへ体験入学した。
そのプールに、個人的物品を持ち込んだところ、
規則違反であるとして厳しいお叱りを受けてしまった。
普段の生活で使い慣れている愛用品であっても、
施設によっては持ち込みを禁止しているところもある。
反省し、以後気を付けたい。
2016/07/24
大島方面へ進む航進丸を遠くより見送って、
佐賀の7つの島々を巡る日帰りクルージングへと出発した。
まずは、宝くじの島、高島へ。
七つの万葉の碑で知られる神集島へ。
七ツ釜へ寄ってみる。
昔は鯨、今はイカの小川島へ。
民宿小川島で
2本目。
3本目
この女、ひとりで4本も飲みやがった。
触らぬ神に祟りなし
百済の武寧王生誕の加唐島へ。
女房は安息の闇へ深い眠りに入った。
全島民がキリスト教徒と言われる松島へ
かつての馬の放牧場、馬渡島へ。
秀吉が向こうの島と呼んだ向島へ。
これで7つの島は全てまわることができた。
玄海原発が見える。
波戸岬沖を通る。
巡航速度はのんびりと20ノットにて距離は往復140マイル、
所要時間は8時間であった。
燃料消費量は226リットル。
平均燃費は29L/hであった。
10時出航、1時間昼食を取り、18時に帰港した。
帰ってもゆっくりと休めそうもない。
帰ればヨッパライの介抱が待っている。
2016/07/28
今やブルジョワジーにもプロレタリアートにも属さないただのLumpenでしかない
私であるからこそ、
この平日に避暑地と呼ばれる平尾台、千仏鍾乳洞まで散歩に出掛けたのである。
千仏鍾乳洞に通じる階段はかなりの距離があって散歩にほど良い。
洞窟の入り口は蒸し暑さがあるが、中へ入ると次第にひんやりとした空気が漂っていてまさに別世界だ。
順調に歩いていると、ある事件に遭遇した。
前方から折り返して来たスラッとした学生らしい観光客が
頭上の低い岩に頭をぶつけ、鈍い音が洞窟内に響き渡ったのだ。
そこには「頭上注意」との注意書きがあった。
彼にとってここは我慢のしどころであり、
何事もなかったかのように平常心を装いこちらへと歩いてきたが、
「コツッ!」と響いたあの乾燥した音質から頭蓋骨の直接の反響音とも推測され、
極めて痛々しい印象を与えてしまった。
私の場合は特に問題なく通過することができたものの、
背の低さが改めて浮き彫りになった。
流れる地下水は氷水のようで、足が痛くなって歩けなくなり、
辛抱できずに途中でUターンした。
随分と体も冷えて、寒いくらいだ。
入場料数百円で真夏の現実から十分逃避できた。そろそろ帰るとする。
洞窟を出て、帰り道へ向かう。
ところが、
車を停めている駐車場まで帰りの復路およそ15分、
厳しい勾配の坂を登り詰めておびただしい程の汗をかき、
暑さも倍返しとなった。
2016/08/02
友人らと今夜のアクティビティについて検討を行っていたが、
今夜は夏の風物詩大濠花火大会を博多湾から見ようという事で全員一致に至った。
船のデッキ上では、この大会にふさわしく焼き肉パーティーも華々しく開催された。
今日は倅の愛犬マー君も招待されている。
花火も終わり、友人らをマリノアで降ろし、
ここのビジターバースで私は船中泊する。
少し食べ過ぎた模様だ。
翌日はさわやかな朝を迎えた。
いよいよ母港へ帰る。
帰りは倅に運転を任せた。
2016/09/01
朝からセミの大合唱で目が覚めた。
「ミーミーミーミーミー・・・」
「少しうるさい気もするがこれが夏の風情だ。なあ、オカミ」、
と女房に同意を求めると、
「セミはいま鳴いていない。アンタ不思議ね」
と言われた。
その音は最近悩まされている耳鳴りだった。
恐らくドラムで耳を悪くしたのだろう。
閑かさや岩にしみいる蝉の声・・・。
芭蕉は本当に(蝉の声)を詠んだのだろうか。
セミの声を聞きながら閑かとは矛盾するではないか。
結局、彼も耳鳴り持ちであったと私は推断したのである。
朝食を終え、母を病院へと連れて行った。
食欲旺盛により足回りに対して過積載重量超過となっており
股関節がかなり傷んでいる。
病院の待合室で待っていた母は、マイクで呼ばれた他人の名前に、
「はいっ!」 と大きな声で答えた。
ここが終われば次は二人で仲良く雁首揃えて耳鼻科に行ってみるか。
2016/09/04
強い勢力を保ちながら我が家に接近中の母ちゃん(近所で一人暮らし中)は、
先ほどの私との電話口論で記録的な大声を発するなど引き続き猛威を振るっている。
先日の病院での聞き違えの事で本日改めて再び口論となってしまい、
「今から行くけん待っとれーッ!」と言われて電話をブチぎられたのである。
交通機関の運休が相次ぐ中、19時現在母ちゃんは南南西2キロの陸上にあって時速
4キロで我が家に進んでいる。
極めて気性が激く暴風域を伴い30分後には我家へ到着する恐れがある。
気性庁は、横殴り、放水、フライパンの散乱など災害に十分警戒するよう
呼びかけている。
私は、ため息をつきながらふっとベランダを見やった。
そこには台風接近中の暗雲の中、幻想的なサンセッットを見る事ができた。
本当に景観のいい家だ。しかし、ここに住むのもあと1年ほどだ。
こんな喧嘩ばかりしている母ちゃんだがそろそろ面倒を見ていこうかと思っている。
今のこの家では手狭なので売却し新たに2世帯住宅を設計中だ。
たった今避難勧告が発せられた。ブログどころではない。避難する。
2016/09/06
いま行われている異次元金融緩和は、
国が発行する国債のほとんどを日銀が買うという異常な事態になっている。
そして民間銀行は急ピッチで国債を手放している。
また、それを放置できないのでその手放した国債を
また日銀が買うという繰り返しになっている。
まさに自分の足を自分が食うという異状な事態となっており、
その行き着く先はハイパーインフレしかないというのが
経済学者らが説くところだ。
果たしてハイパーインフレともなれば物価が著しく上昇し
お金の価値が恐ろしいほど下落する。
たとえて言うならば、「100円ショップ」が「100万円ショップ」
となることを意味する。
誰もが行ってみたくなるセレブのお店100万円ショップ♪
しかし、セレぶって100万円持って買い物など行かぬよう忠告しておく。
店頭に並ぶ商品は今売られている100円の商品ばかりなのだから。
くれぐれも誤解の無いようお願いしておきたい。
(わかっておればそれでよろしい)
2016/09/27
40数年前の学生の頃はゴルフには全く無縁、無知であった。
最近のような幼少期からのゴルフ英才教育もなかった時代だ。
しかし、ゴルフウェアだけはいつも着用していたことを覚えている。
当時はゴルフウェアというよりブランド品として愛用していた。
(購入資金をどうやって調達していたかは不明)
とにかく、ワンポイント刺繍物が流行ったものだ。
ゴルフパラソルはレナウンのアーノルドパーマーであり、
ゴールデンベアは小杉産業のジャックニクラウスであり、
それらブランド名が実は当時世界のトップゴルファーの名前であった
と知ったのは社会人となってゴルフを覚えてからだ。
他にも、ペンギンはデサントのマンシングウェアであり、
クロコダイルはヤマトインターナショナル製だった。
そして、坊主頭に資生堂タクティクスを塗り、
首にはカネボウエロイカを振って見に行くだけのショップは、
VANであり、JUNであり、TAKARAYAであった。
普段はカネもなく、
それら整髪料がなくなりかけたら水を補給して容量を維持した。
あるとき、自宅の私の部屋に同級生が遊びに訪れた事があって、
透明の瓶に入った貴重なヘアトニックを勝手に使われたことがある。
私は激怒し、彼が帰ったあと、また水を補給すべく瓶のふたを開けながら
悔し涙を流した。
「また薄くなったやんかっ・・・」
よくよく見てみると瓶の中にはおびただしいほどのカビが浮いていた。
この時は、勝手に使った同級生に対し、
「はっはっはっ、ザマーミロッ!」 と思ったものだ。
悔し涙がうれし涙に変わりほほを伝う涙が虹色に光った。
(ああ懐かしいガキの頃の思い出・・・)
今朝の新聞では、キングと呼ばれたゴルフ界往年のスター、
アーノルドパーマーが天国へ旅立ったと報じられた。
黒人のプレーを認めさせたり、
世界中で200、日本でも20ものゴルフ場の設計にも携わった。
そして300億円を上回るツアー賞金と放映権料をもたらす礎を築いた
偉大な功績者でもあった。
前述の傘のワンポイントを着て見栄を張っていた時代に思い出が深い。
今日も笑えない・・・
2016/10/24
先日購入したばかりのタブレットの電源ボタンが押し込まれたまま動かなくなった。
そこで、さっそく購入した外資系のアップルストアへ連絡するが、
数日後の空き日に予約して来店してくれと言う。
やっとその日となって一昨日、奇弁の立つ女将を帯同してそのストアへ伺った。
保証規定に基づき交換を希望したが、
ボタン付近の筐体に傷があるので自然故障とみなされず
今回は有償になると言われた。
なんと、4万円である。
しかし、その傷は不良現象発生後についたものであったので、
因果関係はなさそうだし、
そもそもこの不良現象はメーカー不良としてネット上でも
多くの事例が公になっている。
当然だが、不具合が発生するとなるとその事で
製品や企業の信頼を損ねるという事になりかねず、
その場合企業は無料修理をすることにより信頼回復を図るべきで、
そんな話をしながらなんとか保証規定の適用を受けて無料交換をしてもらった。
これはお国の違いというより企業の体質だなあと思う。
2時間ほど費やし、心身共に疲れ果てたので
近くの小さな焼き鳥屋で一杯やろうと立ち寄ったのだが、
そこでもまた問題が・・・、
この話の顛末はまた次回に・・・・
と思ったが、今言いたい。
この焼き鳥屋で我々カスタマーは焼酎2合及びキャベツの葉っぱ一式、
たれ少々と地鶏の串を数本、これらを口頭によって売買契約
並びに焼いてもらうという請負契約を締結し発注したのであるが、
《「おやっさん、これとこれと焼いて」、これで契約成立。》
にもかかわらず皿の上には地鶏ではなく砂ズリが納品されるといった
不都合な物流現象が発生した。
この件について我々は異議を申し立て、商品の即時交換を主張したところ、
円滑速やかに地鶏との交換と焼き直し施工が実施される事となり、
我々はホッと胸をなで下すとともに
周りのお客さんからも一斉の拍手と安堵が示された。
この焼き鳥屋はオトーチャンとオカーチャンによる特定焼鳥共同企業体制度
(略称YJV、ヤキトリジョイントベンチャーと表される)により運営されているが、
見事に企業としての信頼回復を成し遂げたのである。
(見習いなさい、リンゴ店)
その日はいろいろあったが、
達成感のあとの一杯ちゅーのはやっぱりおいしいわあ~。
2016/10/31
昨夜は友人と友人の友人のライブを見に親富孝通りへ。
友人の友人なので名前は知らない。
その後、ロール(菊リン)の店へ。
「サイン貰いに来たんすか?」だと。
先般テレビで紹介された事で大いに調子に乗っている。
コレが噂の他店模擬後発料理、ジェネリックメニューだ!
焼き鳥は輸入串と掲示、堂々としたものだ。